『ねもとタイ子をポロリと泣かせたフィリピン人。』
毎日、毎日・・・、「あーしろ、こーしろ!」と従業員達に対して喧嘩ごしにものを言っている。
そんな彼女達の目に鬼のように映るねもとタイ子も、時に涙をうかべる時がある。
ねもとタイ子:
・・・・皆、私のことクソババァと思ってるんじゃないの?関係ねぇっつうの。
でもね、レジとスーサイ、それにインダイには本当に感謝してる。
彼女達がいなかったら今の私いなかったよ。
私が本当に苦しかった時に助けてくれたのはあいつらだけなんだもん。
本当に苦しかったねぇあの時は・・・もう死んじゃったほうが楽なんじゃないか?と色々考えたこともあったよ。
でもね、スーサイが言うの「タイ子さん、そんなに泣いちゃだめだって!綺麗に化粧してさぁ、これから毎日エクササイズ(運動)に行きなさい。」なんてさ・・・あいつも馬鹿だよね運動しろだって。
そしてレジとスーサイがさ、「タイ子さん、誰にでも辛い時があるんだからそんなに泣かないで。お金は大丈夫だから私達が何とかするから。タイ子さんは何にも心配しなくていいから。」
こんなこと言うフィリピン人いる??
いないよねぇ・・・彼女達には本当に感謝してる。
多くのフィリピン人に助けてもらい、今の自分があることを忘れたくない。
『もっと面白いねもとタイ子の実の母親。強烈な一言』
「あんたをお腹に抱えた時、鳥小屋の2階から2回も飛び降りたけど、あんたは死ななかったね。いっそのこと、もう1回飛び降りとけば良かったよ。」
フィリピンへ行くことを告げたときの母親の一言
「タイ子ごめんな…ウチは子供もいっぱいいるし、明日の運動会に白いおにぎりは準備できないよ。その代わり、海苔は皆と同じので巻いてあげるから、隅に行ってばれないように食べな。」
小学校の時の運動会前日、母親からの寂しい一言
「自分が信用・信頼する人のもとで働く時はこうだぞ。その人が海をみて川だって言ったら川なんだ。」
ある日母親がふとはいた一言
「馬鹿か!女で政治・経済勉強するなんてバカかキチガイだ。勉強したいなら1年間お手伝いさんやってからにしてくれ。」
大学への進路選択が近づいた頃、昔から憧れていた政治・経済の勉強を大学でしたいと母親へ伝えた時の母親の一言
「タイ子ね、人の顔見て悪口は言うな。人の文句言う前に自分の顔見てから言いなさい。」
人を見て、あまりにもあーだこーだ言うのに見かねて母親が一言
「私を”日本一面白いおばぁちゃん”っていう番組にだしてくれよ。」
日本へ帰った時に母親がもらした一言
「あのさぁ、死んだあとに香典やら何やらいらないから、今のうちにたくさん食わしてくれ。」
『何をやっても一番、何処へ行っても人気者』
小学校の頃からすでに…
■相撲大会では、男の子10人を投げ飛ばし近所では有名だった
■運動会では、常に一位になり商品のノートをたくさん家に持ち帰り家族を喜ばせた。
■絵画をやっていて、数々の賞をとった
看護学生時代には、看護実習、隠れてやったアルバイト、ディスコと朝から夜まで忙しく走り回った
■フィリピンへ行くきっかけとなった男と出会った
『4つのダンボールと27万円で始まったフィリピン仰天生活』
初めてフィリピンへ足を踏み入れたのが、21歳の時。言葉も文化も分からず男を信じてラグナの田舎へやってきた。しかし、それは予想をはるかに超えた一ヶ月間の格闘だった。
・初フィリピン人
ついて来た男には実は、奥さんと子供がいた
・初シャワー
外へ連れて行かれ、カラバオ(フィリピンの水牛)の隣でシャワーを浴びた
・初国際電話
田舎で電話がないので、隣町まで弁当を準備していった
『実はこんなことやっちゃいました』
■ VS 校長先生
高校生の頃、中の良かった友達が退学処分になろうとした時のこと。担任の先生をさておき、一人校長室に乗り込み「卒業は一緒じゃなくていいから、終了証を彼女にあげてくれ!」と校長先生を説得。次の日、何もしらない担任はあたふたして「タイ子!お前なんで校長室に行く前に俺にまず言わないんだ。」と少し怒った様子だったが、なんのその「どうせ、あんたに言っても何もかわりっこしないでしょ。」とあっさりかわしてしまった。後に、この事は先生方の間では「こんなにすばらしい生徒はいない」とすごく評価は良かった。結局、友達も卒業できて一件落着。
■ VS 総理大臣
フィリピン人の素敵な彼をみつけ、フィリピンへ一緒に行くことを決心した時のこと。書類の手続きを行うため役所に足を運ぶが、行くやいなや話も聞かずに「ふいりぴん??危ないから止めときナ!」といわれてしまった。調べてもフィリピンなんて、誰もしるはずが無く話が進まない…。そこで悩んだ結果でた答えが、当時の日本の総理大臣「三木 武夫さん」へ直接電話して話を聞くというもの。国のトップなら知らないことは無いだろうという、当時の自分にとってはとてもシンプルなアイデアだった。早速、電話帳で事務所の番号をパラパラと探し出し、「本当に私ごとで申し訳ありませんが、聞いて頂けますか?」と尋ねた。フィリピンへ行く熱意に押され相談に応じてもらったが、スムーズに話が進み一件落着。総理大臣が私ごとで相談にのったのは始めてだったそうです。私が尊敬する総理大臣は?と聞かれたら、迷わず私は「三木総理大臣」と答えます…なんせ、私の個人的な相談にのってくれたんですもん(笑)