2015年5月 ラスピニャス パラニャーケ
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メトロマニラの南部に位置するこの地区は、マニラ国際空港にも接していて観光客の方にも身近な地区ではありますが、多くのホテルはマカティやマニラにあるため一般には通り過ぎるだけで終わってしまう地区でもあります。
マニラ空港からは比較的近いですが、ねもとのツアーでは今まで紹介してなかった地区ですので、今回ご紹介をさせていただきます。 |
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セイントジョセフチャーチ |
バンブーオルガンがある教会として有名です。
教会はスペイン統治時代の1797年に建設が開始され1819年に完成したバロック様式の教会です。
教会内にあるバンブーオルガンは、竹が切り始められた1816年から数えますと来年が200周年となるそうです。
総パイプ数は、1031本。このうち902本が竹で作られています。 |
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教会で御祈りをするだけでしたら、もちろん無料で入ることができます。 |
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こちら教会の隣にある建物は、元々修道院でしたが現在はバンブーオルガン財団の事務所と博物館となっています。 |
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博物館への入場料は、大人100ペソ。子供と60歳以上のシニアは、50ペソです。 |
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博物館に入ってすぐの場所に置かれているベルは、1820年にスペインのクイーンイザベルより送られたものです。
元々はベルタワーに設置されていましたが、ベルタワーの老朽化により、現在は博物館入口に置かれています。
ブロンズ製で、オリジナルだそうです。 |
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ここセイントジョセフチャーチでは、毎年2月にバンブーオルガンフェスティバルが開かれています。歴代のフェスティバルのポスターが、壁に飾られていました。
今年の2月は、第40回だったそうですが、今年のものはまだ飾られていませんでした。
一昨年の第38回フェスティバルの際には、日本人チェリスト、ハシバ・リオさんもフィリピンにやってきて演奏したそうです。 |
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去年の第39回のポスターが最新のものでした。 |
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博物館の一角にある階段を上ると、バンブーオルガンの近くまで行くことができます。
無料で入れる教会からは2階に上がることができませんので、入場料を払った方だけの特権となります。
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観光客が何名かいると、バンブーオルガンの演奏をしてくれます。 |
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オルガニストのジュビーさん。彼女は観光客用のオルガニストで、フェスティバルでは演奏はしないそうです。この日は、バッハを弾いてくれました。 |
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バンブーオルガンへの階段はオルガニスト専用で、一般人は立ち入り禁止です。 |
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日本語での記述もありました。 |
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教会の天井にも竹が張られていました。 |
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教会外には、バンブーオルガンを作ったディエゴ・セラ神父の像が設置されています。
教会前の通りも、ディエゴ・セラの名前が付けられています。 |
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ディエゴ・セラ オルガンビルダーズ |
バンブーオルガン博物館のガイドさんより、フィリピンで唯一のオルガン工場が、やはりラスピニャスにあると聞き、予定にはありませんでしたが出掛けてみることにしました。
工場の名前は、バンブーオルガンを作ったディエゴ・セラの名前が付けられています。
突然の訪問でしたが、工場の見学をさせてくれました。 |
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工場を一通り見せていただいたところで、オーナーのタグレさんが帰ってきたので幸いにもお話を聞くことができました。
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タグレさんは、今年43歳。歴史あるバンブーオルガンの職人ということで、もっとお年寄りのイメージがありましたが、若い方で驚きました。
元々彼は、バンブーオルガン教会の聖歌隊で歌を歌っていたそうです。
16歳のときに、バンブーオルガン財団の薦めで、ヨーロッパはオーストリアにオルガン制作の修業に出たそうです。
現地では6年間オルガンについて学び、フィリピンに帰ってきて1994年に工場を建てました。よって彼はフィリピンでは、ハイスクール卒業の学歴しかないそうですが、今ではフィリピンで唯一のオルガン工房として、フィリピン最古の教会ボホールのバクラヨン教会や、セブのカテドラルなど全国各地の教会にあるオルガンの修理やメンテナンスを受け持っています。
フィリピン国内のみならず、ロシアや韓国、更にはシンガポールなどからもオルガン制作の依頼があり、とても多忙のようでした。大きなプロジェクトになると、1年以上もかかるのだそうです。
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バンブーオルガン財団からヨーロッパに派遣されたフィリピン人は5名いるそうです。
うち3人がオルガニストで、2名がビルダーとして派遣されましたが、タグレさんの同僚は若くして亡くなったので、フィリピン唯一のビルダーとして現在やっていると話してくれました。
オルガニストの3人のうち、2名はフィリピンに戻らなかったそうですが、フィリピンに戻った一人であるアルマンド・サラーサさんが、毎年のバンブーオルガンフェスティバルで演奏をするフィリピンの第一人者なのだそうです。
彼は、フィリピンの3つの大学のプロフェッサーでもあるそうです。
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セイントジョセフ教会にあるバンブーオルガンは、今までに何度か修復をしたそうですが、現在のパーツの約10%は日本の竹が使われているとの話も教えてくれました。
タグレさんは、職人でありながらとても気さくな方で観光客の訪問もウエルカムとの話をしてくれましたが、仕事上フィリピンの地方へ出かけたり、外国へ出ていることもあるので訪問をご希望の方は事前のアポをお願いしますとのことでした。
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タグレさんのオフィスにあった、テスト中のオルガン |
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CDは、セイントジョセフチャーチにあるお土産屋で販売されています。 |
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サラオ ジープニー工場 |
フィリピンの代名詞とも言える庶民の足、ジープニーの有名な工場サラオもラスピニャスにあります。 |
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写真に記載のように、お客様・観光客ウエルカムの工場です。 |
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メルセデス・ベンツのジープニー? いやいや何でも御客さんのお好みに作ってくれます。 |
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エアコン付きのジープニーも作成できます。 |
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今回、創始者のお孫さんである、ジーノ・レオナルド・サラオさんにお話を聞くことができました。おじいさんのレオナルドさんは亡くなって、現在はお父さんが社長だそうです。
1950年代、元々馬車のドライバーであったおじいさんが創業しました。
ジープニーの最盛期には、フランシスコ、アマンテ、マラゲーニャなどのライバル企業もあったそうです。
他は縮小したり倒産したりしてますが、サラオは健在ですと話をしてくれました。
ジープニーのエンジンは、今でも日本のいすゞエルフのものを使用しているそうです。
シャーシーは、日産パトロールのものを使っているとも話をしてくれました。
現在ジープニーのオーダーは、50~70万ペソのものが主流だそうです。ステンレス製が高く、ガルバナイズ製だと安価とのことでした。
始めに30%の頭金を入れれば、制作にとりかかってくれるとのことでした。約3~4ヶ月で完成するそうです。
ちなみにエアコンジープニーは、100万ペソ以上するとのことでした。
最終的に、フィリピンの陸運局であるLTOへの登録のお手伝いもしてくれるそうです。
興味のある方、ジープニー作ってみませんか?
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こちらは、おじいさんのサラオさんが1955年に作成したジープニーだそうです。 |
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サラオのジープと言えば、馬の飾りが有名でしたが、最近のものには付いてないそうです。
理由は、職人さんが後継者を作らずに亡くなったからとのことでした。よって、馬の飾りが付いているのは、昔作られたジープニーということになります。
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工場入口には、ジープニーのおもちゃも売っています。1台200ペソ |
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デューティフリーフィリピン |
マニラ空港第1ターミナル近くに、大型免税店があります。 |
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入口では、フィリピンの民族衣装をまとったスタッフがお出迎えです。 |
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入口の右手にあります受付で、パスポートを提示して登録が終わりますと免税での買い物ができます。
旅行者の方は、帰国の前日まで買い物が可能です。上限は、1000ドルまでとなっています。 |
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進行方向奥のエスカレーターに乗って2階の御店から始まり、1階の御店で終わるルートとなっています。 |
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2階には、酒やたばこの嗜好品やブランドショップが入っています。 |
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2階から1階へ降りるスロープ。買い物客は、カートに大量に詰め込んで買うので移動はスロープとなっています。
この日見たお客さんは殆どが海外に出稼ぎに行って帰ってきたフィリピン人でした。OFWと言いますが、彼らの購入額は一般ツーリストよりも高く最高4500ドルまで買うことができるのだそうです。 |
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1階には、おもちゃ売り場や電化製品、さらにはグロッサリーが入っています。 |
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出口近くで演奏していた盲人のバンド |
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バクラーラン オリジナルシーサイドシーフード |
マカパガル通りにありますシーフードレストラン「ダンパ」は観光客の方にも有名ですが、こちらはパラニャーケのバクラーラン教会近くにあるオリジナルのシーフードレストランです。 |
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1階にあります市場で魚介類を購入し、2階のレストランで調理してもらって食べることができます。 |
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2階に何件がレストランがありますが、一番奥にあります「ALING LETTY RESTAURANT」が、ねもとでいつも使っているレストランになります。当社オーナー根本タイ子の友人が、レストランの関係者です。
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御店の名前になっているLETTYさんは、レイテ島はタクロバンの出身。1979年にマニラに出てきて、1980年代に1階でレストランを始めました。
その後、2008年に今の場所の2階に移動して経営を続けています。
朝5時~夜9時までが営業時間ですが、午前1時には、野菜の仕入れを別の市場に買いに出かけるそうで、とても働き者のおばちゃんです。
年中無休でやっているそうで、先月にあったホーリーウイークも休みなしで働いたわよと話してくれました。 |
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バクラーラン教会 |
ロハス大通り沿いにある有名なバクラーラン教会、マニラ空港からパサイやマニラのホテルへ向かわれる際に通りますので、ご存じの方も多いと思います。
毎週水曜日は、バクラーランデイとなっていてフィリピン各地から信者が詰めかけますため目の前のロハス大通りは大渋滞と化します。
日曜日の朝、フィリピンのテレビは教会の中継の番組となりますが、ここバクラーラン教会のミサの様子が映し出されます。 |
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教会前には、サントニーニョの人形が売られています。 |
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また教会前の通りは、露天業者が多数出ていて値段も安いので多くの買い物客でいつもごった返しています。
その反面スリも多いので、一般の観光客の方にはあまりお勧めはできない場所ではあります。 |
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今回、ご紹介したスポットは、市内観光の通常コースとはなっておりませんが、興味のある方はガイド付きでアレンジ可能です。ご相談ください。 |
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