アンティポロ市 ボソボソ |
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マニラ首都圏から、30キロ程度の距離のこの地区では、太平洋戦争時に多くの日本兵が亡くなっています。
小社オーナーの根本タイ子も、現役ガイド時代に数多くの慰霊団の方々をお連れした慰霊団ツアーでは重要な場所です。
距離的にはマニラ市内からも、それほど遠くはありませんが、途中渋滞がひどいため今までは簡単に出掛けようと思わない地区でもありました。
実は3月に取材を予定しておりましたが、諸事情があり延期となっておりました。
今回、その辺の事情も含めて、取材をしてきましたので、ご紹介をさせていただきます。 |
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ボソボソは、マニラ近郊の有名都市アンティポロの先になります。
マルコスハイウェイで向かいますが、アンティポロ辺りまではすっかり都市化された町並みですが、その先はガラッと変わり山道を登っていくような田舎の景色となります。
アンティポロから先へは、私は初めて入りましたのでよく見るフィリピンの田舎の景色に映りましたが、同行した根本タイ子は「この辺もずいぶん開発がされたわねえ」などと驚いていました。
以前慰霊団のガイドで来ていたころは、本当に何もなかったのでしょうね。
アンティポロのマシナッグの交差点を超えて、20~30分ほど走りますと、ボソボソ地区に入ります。
根本タイ子も、しばらくぶりに来たこと、当時から道はドライバーさんまかせだったことから、慰霊碑への曲がり角がわかりませんでした。
そんな訳でボソボソのバランガイ事務所で、道を聞いてみたところ、殆どのスタッフが慰霊碑の存在自体を知りませんでした。
敵国の兵隊の慰霊碑など、現在のフィリピン人の方々には、どうってことはないのでしょうね。
根本タイ子の昔の記憶で、近くに教会があったことなどを説明して、ようやく一人のスタッフが思いだしてくれて、道順を教えてくれました。
「オールドボソボソ小学校近くの、ボーランクリスタル」と近くの人に言えば、辿りつけるはずだと。 |
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ボソボソ地区、通称ボーランクリスタル |
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ボーラとは、タガログ語でボールのことです。
確かに上部が球状になってますので、このあたりでは、この名で呼ばれているのでしょう。
手前の小学校で作業をしている人に聞いたら、この先だと教えてくれたので、本当に近くまで行けば存在を知っている人はいます。
ただ入口にある階段が、非常に目立ちませんでした。 |
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この階段の上に、上記の慰霊碑が建てられていますが、看板も何もなく、普通に走っていたら通りすぎてしまうほど目立ちません。
また、階段の1段目の高さがちょっと高く、一歩目を勢いつけて上らないといけないほどの造りとなっています。まるで進入を拒むかのように・・・
そんなこともあってか、慰霊碑は手入れがされてなく雑草が生え放題の状態でした。 |
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ボーランクリスタル慰霊碑の横に貼られている文面 |
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慰霊碑を囲んでいるコンクリートの上に、「川北大隊の墓標」とかかれた柱がありました。 |
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見にくいのですが、柱には日本語が刻まれていました。 |
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三個中隊の内第九中隊は北部ルソンオリオン峠方面に転じ各小隊長以下多数の戦没者を出せり
最後の「り」の文字の下に、スペースが空いてもう一文字刻まれていましたが、残念ながら私には読めませんでした。 |
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下部には、「世界の平和友好親善のために」の碑が左右にありましたが、左側が1986年とあるのに、右側は1989年となっていました。 |
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入ったときは荒れ放題で、かわいそうな状態でしたが、柱にまとわりついていた雑草をとりはらいまして、道具も持っていなかったですが、気持だけあたりの掃除をしてきました。
同行したフィリピン人ドライバーは、我々日本人が何も言わないのに、ボーランクリスタルに貼られている金属版が曲がっていましたため、上記のように気持ちまっすぐにしまして、取れかけていたネジをはめていました。
到着したときより多少ましになったのではと思います。 |
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慰霊碑から見える周りの風景、当時日本兵はこのフィリピンの山にも日本の名前をつけて呼んでいたそうです。
山に向かって合掌してきました。 |
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ボソボソの教会 |
ボーランクリスタルへ曲がる所を曲がらずに真っすぐ行ってしまうと左側に教会があります。我々も通り過ぎてしまいましたので、先に教会へ寄りました。 |
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紫の傘を差している地元のおばさんに、ボーランクリスタルへの曲がり角を教えてもらいました。
隣の若者は、慰霊碑の存在は知りませんでした・・・ |
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ボーランクリスタルの後に、もう一つ戦跡へ寄ってみましたが、こちらへ行くのは大変苦労しました。
根本タイ子はガイド時代に何度も訪れていますが、当時道はドライバー任せ、本人はゲストの方へ向かって話をしていると、着きましたよと声をかけられるだけだったので、よく覚えてないとのことでした。
ボソボソのバランガイ事務所でも見当がつかないとのことだったため、地元のことを聞くならトライシクルのドライバーに聞くのが早いだろうと思い、トライシクルの待機所で話を聞いてみましたが、誰も知りませんでした。ジープニー乗り場で、客を集める仕事をしていたディスパッチャーの中に元気なお兄さんがいました。
役にたちそうだったので彼を急遽雇い、車に乗せて辺りを周ることにしました。
最初に彼が尋ねた地元の人が、76歳のおじいさん。戦争当時のことを覚えているだろうと考えたのはよいアイデアだと思います。
車で15分くらい行った先に、それらしきものがあるとのこと。また曲がる場所がわからなかったので、道中にあった簡易食堂で再度尋ねたところ、この先を曲がったハイスクールの先にありますよと言われ、舗装のされていないガタガタ道を進みました。
途中分かれ路があったので、そばで遊んでいた子供たちに話を聞いたところ、確かにこの先に英雄のお墓が建っているとのこと。このまま車で行けるかなと思案していましたら、家の中から大人の方が出てきました。
再度確認しましたら、この先のお墓はフィリピン人の英雄だと言います。どうも最初におじいさんに聞いた段階で勘違いがあったようです。
ディスパッチャーのお兄さんも落胆してましたが、彼に責任はありません。
仕方ないのでナショナルハイウェイに戻り、道沿いにあった工具店や、上記とは別のトライシクル待機所で話を聞きましたが、そんなものは見たことないとのこと。もう少し先なのかと思い、車を山の方へ進ませましたが、あるのは新興のローカルリゾート程度。
人家もまばらになってきましたので、あきらめて帰ろうかということになりました。
車をユーターンさせてしばらく走ったところ、サリサリストア前で談笑しているおばさんが見えたので、最後のだめもとと思い話を聞いてみましたら、何とすぐそばにあるとのことです。
サリサリから20mくらい先にある細い道を入って行きなさいと教えてくれました。車から下りて、歩いて向かうと放し飼いの犬が吠えてきました。
どうやら個人の敷地のようです。根本タイ子は、この時点でどうやらここだと思いだしたらしいです。手前にバスケットボールコートがあり、その先に慰霊碑はありました。 |
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野口兵団及び海軍英雄の鎮魂 |
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裏側には、下記のように書かれています
奉納者 株式会社ゴールドウイン 社長 西田東作
発起人 フィリピン戦友会 会長 寺嶋芳彦
1996年2月26日 |
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鎮魂の碑の隣には、西田陸軍兵長のお墓がありました |
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鎮魂の碑と同様、西田東作さんの建立となっています |
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ボーランクリスタルとは違い、こちらの碑は手入れがされていました。敷地は、アレアンドリーノさんの持ち物。
彼のお父さんであるジョージさんに、ガイド時代の根本タイ子もお世話になったそうです。
ジョージさんは4年前に他界されたそうで、慰霊碑のそばにお父さんのお墓も祀られていました。
以前は、ハイウェイの入り口に看板があったそうですが、今は無くなっています。根本タイ子が、心ばかりの寄付をアレアンドリーノさんに渡したところ、看板を造りなおすと約束をしてくれました。
これからお出掛けになられる方には、わかりやすくなると思います。
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現在の入り口の様子、中央の細い道を入っていきますが、近くのサリサリストアで話を聞かなければ、そのまま通りすぎてしまいますよね・・・
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現地のアドレス SITIO CORAZON DE JESUS ,BARAS |
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ボソボソではなく、バラスという地名でした。ボソボソのバランガイ事務所ではわからなかったはずです。
田舎道で渋滞もありませんので、5分、10分車を走らせただけで次の部落へ入ってしまうのですね。
帰りに確認しましたら、先に道を尋ねた工具店は、車で走ると1分程度。
この程度の距離であっても知らない人は知らないということです。
ディスパッチャーのお兄ちゃんは、子供のころに慰霊碑の手前にあるバスケットコートでは何度も遊んだことがあったそうですが、日本兵のメモリアルがここへあったなど頭の片隅にもなかったようです。
彼も今回共に苦労してくれましたので、これからは日本人が慰霊碑の場所を尋ねたら、真っすぐに連れて行ってくれることでしょう。 |
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チャーリーズ・ファーム |
ボソボソとバラスの間を、山の方へ入っていきますとサンホセという所があります。
正式には、サンホセのパヌスギンという地区になるそうですが、こちらの山奥で日本のキュウリを栽培しているファームがあります。
ねもとトラベルの1階にあります、ねもとレストランでも、ここで栽培のキュウリを仕入れて料理に使用しております。
タガログ語でキュウリのことはピピーノと言うのですが、日本のキュウリと比べて太くて種も大きく、おおざっぱに言って大味と言いますか、私の中ではキュウリとピピーノは別物だという認識でいます。
仕入れたキュウリを、サラダや漬物として食べますと、ピピーノで作ったものとは、やはり全然違うものです。 |
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実は3月に取材に出掛ける事になっておりましたが、ファームを運営してましたご主人が事故で亡くなってしまいました。
お名前は、テディ・ロクシンさん。フィリピン人ですが、奥様が日本人です。奥様のお名前はフミコ・ロクシンさんと言いますが、旧姓が小川さんですので、在比の日本人の間では小川さんで通っています。 |
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当初の取材予定日は、3月4日でした。ご主人が事故に遭われたのは、3月3日の日曜日。
ご主人は山奥での農作業、奥様はマニラで事務所勤めですので、3月2日土曜日に小川さんがねもとへ寄っていただき、携帯電話の電波が時々届く山奥のご主人とテキストメールでやりとりをしてくれて、取材日の打ち合わせをしておりました。
生前、テディさんは収穫したキュウリを、ねもとへ毎週配達に来てくれていましたので私も面識はありましたが、そのときの印象は、まるで日本人のようなフィリピン人だなあというものです。
言い換えれば、一般のフィリピン人はいつも明るく、ときには無駄口なんかもたたいたりして、本来の仕事がおろそかになりがちな方も多いですが、テディさんは違いました。
こつこつと仕事をこなし、いつも寡黙な姿を見ていて、いつかこの人と真剣に話をしてみたいと思っていましたので、3月4日の取材を楽しみにしていましたが残念ながら叶わぬものとなってしまいました。 |
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3月3日、日曜でしたが耕運機を使って山の斜面にある畑で作業中、滑って足を耕運機にはさんでしまい、抜けなくなってしまったそうです。
結果的には出血多量が原因と聞きました。山から町の病院に移すのに時間がかかったことも要因ではないかと思います。
テディさんは、元々農業は本職ではありませんでしたが、努力と持ち前の真面目な性格で地域の農業リーダーになり、アンティポロ市よりオーガニックファーム(無農薬農園)の認定まで受けるようになっていました。
事故に遭った耕運機も市からの贈り物だったのだそうです。
もしご主人が日曜に仕事するほど真面目な性格でなければ、市から耕運機をもらうこともなく寿命がもっとあっただろうと思うのは私だけでしょうか。
これから地元の農業を背負って行ったであろう方を亡くして、本当に残念に思います。 |
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以前、マニラで唯一の日本語紙(まにら新聞)で発行しています無料情報誌「ナビマニラ」にテディさんの記事が紹介されたことがありますので、こちらをご覧ください。
テディさんの元気な頃ご夫婦で写っている写真や、ファームの名前の由来等も書かれています。 |
http://p.tl/UDMn
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ファーム入口近くにあるテディさんが建てた家 |
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斜面を下りた少し平らなところにキュウリ畑がありました |
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斜面には、マホガニーの木も生えていました |
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現在は、テディさんの弟子である、フィリピン人ご夫婦メロイさんとチェさんが、テディさんの遺志をついでキュウリの栽培をされています。
今回我々が出掛けたときにも彼らが案内をしてくれました。
奥様の小川さんも、オフィスの仕事とかけもちで現地の管理をされながら、毎週土曜日のオフィスの休みの日にキュウリの配達に来てくれています。 |
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小川さんも農業は本職ではないので、いろいろな苦労もあるようです。
詳しいことは、小川さんのブログに紹介がされていますので、下記をご覧ください。
以前より、ねもとトラベルのリンク先にも入っておりますのでお読みいただいた方もいると思いますが、イラスト入りのとても読みやすいブログです。 |
「わたしのジープニー通勤」のブログはこちら
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小川さんに、ご意見やアドバイス等がございましたら、下記メールアドレスへご連絡お願致します。
このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
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クラウド9 |
アンティポロ市は広くて、ボソボソやチャーリーズ・ファームもアンティポロ市に属しますが、都市部のアンティポロにある見晴らしのよいレストラン兼ホテルを紹介します。
スムロンハイウェイから高台に上がったところにありますので眺めがとてもよく、遠くマカティのビル群や、ラグーナ湖を見渡せます。
夜景も素敵で、マニラ近郊の有名なデートスポットとなっています。 |
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レストランよりマカティ方面を望む |
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レストラン脇は、ミニミュージアムのようになっていて、アンティポロの歴史も学べます |
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別館、7th ヘブンビルディングへは吊り橋でも移動可 |
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ホテルの参考価格 |
DX 眺望無し 1800ペソ
DX 眺望有り 2000ペソ
クラウド9ルーム 3500ペソ など |
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マニラからも日帰り出来る距離ですが、ご宿泊ご希望の方は、下記ご参照ください。
www.cloud9hotelresort.yolasite
電話 (02)584-3011
住所 Sumulong H-way, Bgy. Sta. Cruz, Antipolo City |
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