タルラック州はアンヘレスの北部に位置し、面積3,053.4k㎡、人口は100万人前後

 

第二次世界大戦時、バターン死の進行などで戦跡ツアーで知られているエリアです。

 

近くでは、ピナトゥボ山トレッキングツアーなどもあり、日帰りで行けるエリアでもあります。

 

今回はタルラック州のピナトゥボ山トレッキングツアーを始め、メモリアル記念碑などをご紹介いたします。

 

 

 

 

[ピナトゥボ山トレッキングツアー]

 

ピナトゥボ山トレッキングツアーに参加した日は6月12日

 

なぜこの日を選んだかは、ピナトゥボ山が噴火を起こした最初の日が1991年6月12日だからです。

 

この三日後6月15日に最大噴火が起こりました。

 

この日はフィリピンの独立記念日と重なり、参加者が多いかと思いましたが、あいにくの雨で参加者はあまりいませんでした。

 

ねもとでも2013年2月特集でピナトゥボ山トレッキングツアーをご紹介いたしました。

 

あれから5年が経ち、最新のピナトゥボ山トレッキングツアーをご紹介いたします。

 

ピナトゥボ山は、1991年6月に世界的規模で大噴火し今年で27年が経ちます。

 

噴火の前にも予兆があり、事前の予報が功を奏し、周辺地域から数万人が事前に避難し、噴火による死者が少なかったことでも知られています。

 

その後、ピナトゥボ山とふもとの町の間には、日本の援助もあってSCTEX(スービック・クラーク・タルラック高速道路)が開通し、マニラ北部からのNLEX(北ルソン高速道路)と連結され地方と首都圏との距離が近くなりました。

 

ピナトゥボ山サンバレス州・バタアン州・パンパンガ州の境界に位置しますが、ピナトゥボ山トレッキングツアーは、タルラック州カパスからになります。

 

 

 

 

マニラから127km地点
もう少しでトレッキングツアー申込オフィスにつきます。

 

 

この誓約書に記入します。

 

ここのサンタフリアナから河口のクレーターまで25kmあります。

 

四駆のジープに乗って移動します。

 

このシーズンは雨季で水量が多いです。

 

ここで途中休憩

 

この辺は撮影ポイントのことでした。

 

原住民のアエタ族の子に会えました。

 

 

ジープを降りてここからは、徒歩でクレーターを目指します。

 

徒歩でクレーターまでは7キロほどです。

 

 

足場はとても悪く、スポーツシューズでの参加をお勧めいたします。
長ズボンは濡れますので半ズボンが良いかと・・・
ジーンズで行った僕はビショビショになりました。
着替えは必ず持っていきましょう。

 

 

1つ目の休憩地点

 

記念撮影もできます。

 

 

最終地点クレーターまで1kmの所です。

 

ヤングエイジ15分
ミドルエイジ18分
シニアシチズン20分でたどり着けますと書いてあります。
ここからが本当に大変
体感時間は倍くらい感じます・・・

 

今までの雰囲気が一機に変わります。

 

クレーターまで10分の標識

 

 

階段を上がりきると最終地点に到着

 

到着
歩き始めて3時間かかりました。
乾季に来るともう少し早く着くそうです。

 

 

どうですかこの眺め!
疲れが吹き飛びます。

 

 

周囲は整備されここで昼食をとることもできます。

 

 

[バンバン歴史の博物館]

タルラック州バンバンにある、バンバン歴史の博物館は

 

Mr. Rhonie C. Dela Cruzさんがボランティアの支援の下運営しています。

 

第二次世界大戦時代の貴重な資料があり、年間を通して数多くの日本人が訪れる資料館です。

 

ボランティアですので入場料は基本的に無く、訪れた寄付金という形でお金を置いて行かれる方が多いそうです。

 

 

 

 

資料館の内部

 

1944年10月21日マバラカット西飛行場で出撃直前に撮影された1枚

(飛行服姿向かって左端が関大尉)

 

敷島隊を率いた関行男大尉

 

西沢広義氏

 

 

 

マッカーサー元帥の写真も7あります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[CAPAS NATIONAL SHRINE(カパス ナショナル シュライン)]

太平洋戦争時代、日本軍がアメリカ兵とフィリピン兵に行った「死の進行」
(バタアン州マリベレスからターラック州カパスまでの120kmの内、42kmを炎天下の中、徒歩で移動した死の進行)で移動目的カパスのオドネル基地近くにあります。

 

1991年コラソン・アキノ元大統領時代に建てられました。

 

広大な敷地の奥に記念塔があり、記念塔を囲うように亡くなられた方の名前が刻まれています。記念塔の高さは70m

 

記念塔の近くまで車で行くことができます。

 

 

開園時間:午前8時から午後5時まで外国人入場料一人40ペソ

駐車料金、普通車1台40ペソ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[Death March Memorial Shrine]

Tarlac州、Capasのデス・マーチ・メモリアル・シュライン(Death March Memorial Shrine)。
バターン死の行進の終点地点になります。

 

 

バターン死の行進は、第二次世界大戦中、日本軍によるフィリピン侵攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍、フィリピン軍の捕虜をバターンからCapasまで移動した際、多数死亡した行進のことを言います。

入場料は一人10ペソ、フィリピンの管理人さんがノートをもってきますので、記帳します。

 

 

 

 

 

 

 

 

死の行進を再現しています。

 

記念碑の後ろ側

 

 

 

[Grotto Of Lady Of Lourde]

長い階段の上に神様が祭られていて小さな教会の様です。

150段ほどの階段があるのですが、思いのほか階段が急で疲れます。

 

 

 

 

 

結構急な階段ですので、少し注意しながら上がらないと転びそうになります。

 

 

 

階段を登り切り、振返ると良い眺めです。