ピナトゥボ山は、1991年6月に大噴火しました

。今年の6月で22周年となります。20世紀最大の噴火と言われていますが、

事前の予報が功を奏し直接の噴火による死者は少なかったことでも知られています。

しかしながら、大量の溶岩と火山灰が噴出しその後何年も世界の気象に影響を及ぼしたことを

覚えている方も多いのではないでしょうか

 

ピナトゥボ山ふもとの町にも、フィリピンに毎年訪れる雨期の時期に泥流が押し寄せました。

バコローと言う町は、大量の土石流で町がすっかり埋もれてしまい多数の死者を出したりと、

何年にも渡って地元民に被害をあたえました。

その後、ピナトゥボ山とふもとの町の間には、

日本の援助もあってSCTEX(スービック・クラーク・タルラック高速道路)が開通し、

マニラ北部からのNLEX(北ルソン高速道路)と連結され地方と首都圏との距離が近くなりました。

山に住む原住民アエタ族は、昔ながらの生活をされている方もいますが、

公用語のフィリピン語も理解したりと文明も生活に入り込んでいたりします。

 

1991年の大噴火も約400年振りに起きたことを現地の多くの方は知っていて、

今回お世話になりましたガイドさんたちも、

「後数百年間、噴火は無い」と、それぞれの生活を営んでいました。

今でも雨期の時期には、入山は禁止されているようですが、

乾季の間はトレッキングツアーが行われています。

今回ねもとでも扱えるようになりましたので、ご紹介いたします。

 

ピナトゥボ山は、サンバレス州・バタアン州・パンパンガ州の境界に位置しますが、

現在入山可能な入口は、タルラック州カパスからになります。

パンパンガのアンヘレス、クラークのホテルに滞在の方、午前6時のホテルお迎え。

マニラエリアにお泊まりの方は、午前4時半のお迎えでツアー可能です。

 

(ツアーは、2名様から催行致します)
2名様の場合の1名様料金 6500ペソ
3名様の場合の1名様料金 5300ペソ
4名様の場合の1名様料金 4500ペソ
5名様の場合の1名様料金 4000ペソ
含まれるもの
上記ご滞在ホテルから、入山登録所までの往復送迎(ねもとの車)
登録所からトレッキング開始・終了場所までの4輪駆動車での往復送迎
トレッキング登録代行
現地フィリピン人のトレッキングガイド
ランチ(お弁当)
ミネラルウォーター

別途、個人でご用意されることをお勧めするもの
適当な大きさのナップザック
Tシャツ等の着替え
タオル
マスク(火山灰が吹きあげてきます)
帽子(乾季のフィリピンは日差しが強いです)
履きなれた靴(小川を渡ったりする箇所あり)
カメラ
日焼け止め
予備のミネラルウォーター等飲み物や、飴玉等食品

 

おおよそのスケジュール
4:30 マニラからの方のご出発
6:00 アンヘレス・クラークにお泊まりの方、お迎え
7:30 登録所、サンタ・フリアナ着 入山登録
7:45 4輪駆動車に乗り換え出発
8:45 トレッキング開始場所到着、スタート
11:00 クレーター(噴火口)着 昼食
12:00 下山開始
14:00 4輪駆動に乗り換え登録所へ向け出発
15:00 サンタ・フリアナ着 ねもとの車に乗り換えホテルへ
16:30 アンヘレス・クラークのホテルの方 着予定
18:30 マニラからの方 着予定

 

ご予約は、ご予定日の2週間前までにメールでお願い致します。
参加者氏名フルネームスペル ならびに 生年月日が必要です。

ご予約後キャンセルは、1週間前までにご連絡いただければノーチャージ

 

注意事項
噴火口のカルデラ湖での遊泳は禁止
妊娠されている方は参加できません。

心臓疾患、高血圧の方にはお勧めいたしません

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ツーリズムオフィスにて入山登録

 

欧米人のゲストも多かったです

 

登録所サンタ・フリアナは、クレーターから25キロ手前になります

 

4輪駆動車に乗り換えて、トレッキング開始場所までは約1時間の移動

 

悪路をジープで、行ける所まで行きます

 

原住民アエタ族に会いました

 

 

クレーターへ7キロの地点で、ジープから下されました

 

現在、ここがスタートのようですが、道が整備されるともう少し先までジープで行けるようになるそうです。

トレックの距離が短くなります

 

道中、小川を渡っていくところがあります

 

 

クレーターまで残り1キロの地点の休憩所

 

ここから、ヤングエイジは15分、ミドルエイジは18分、

シニアシチズンは20分でクレーターまで辿りつけます、あなたはどれですか?と書いてある看板

 

ようやくクレーターに到着です、休み休み来たのでやはり2時間強かかりました

 

 

 

 

湖畔までは階段で下りることができますが、かなり急なので帰りの昇りがきつかったです。
クレーターで昼食となりますが、滞在時間はゲストのご希望通りに可能です。

 

ジープの待機所まで戻って来ました、下りは2時間弱で下りれました。
ここから入山登録所まで、またジープで約1時間となります。

 

マニラからの道中、いくつか観光名所がありますので、ご紹介いたします。

立ち寄りご希望の方は、お知らせください。入場料等は別途ゲストのご負担となります

 

 

カパス・ナショナル・シュライン
太平洋戦争下、日本軍がアメリカ兵とフィリピン兵に行った「死の行進」の目的地キャンプ・オドネル近くに、

亡くなった兵士のために、1991年コラソン・アキノ元大統領時代に建てられました。

オベリスク(塔)の高さは、約70mあります。
午前8時~午後5時
入場料 大人10ペソ
塔の近くまで車で入れますが、別途駐車場代30ペソ

 

 

 

 

 

 

 

デスマーチ・メモリアル・シュライン
現地の主要道路、マッカーサーハイウェイ沿いにある、やはり死の行進の記念碑。

以前ここへ駅があったようで、死の行進もサンフェルナンドからここまでは列車での移動でした。

しかしながら上記のキャンプ・オドネルまでは、また徒歩で5~6キロの距離を歩かせたそうです。

現地ではオールド・モニュメントとも呼ばれているようです。

マニラから行きますと、こちらが手前にあります。

現在、子供の公園のようになっていますので入場料無し

 

 

 

 

 

聖母ローデス
マッカーサーハイウェイをアンヘレスの方から北上して行きますと、

川を越したあたり左方向に長い階段を上ったところに教会のようなものがあるのが見えてきます。

長年何度もこの道を通っていて気になったので、初めて寄ってみました。

 

約150段の階段の上に聖母ローデスが祀られていました。

フィリピン各地にあるグロートの一つです。なんでもピナトゥボ山大噴火の後、

泥流が川を伝ってふもとの町に被害をもたらしたにも関わらず、この地区は被害がなかったのだそうです。

これも聖母ローデスのおかげだと地元のおばさんが話してくれました。

 

子供たちからは日本軍が使っていた洞穴があると聞き、ついて行ってみましたが、

大人が歩けるような道はなく童心に帰ってお尻を崖にくっつけながらなんとか見てきました。

聖母はともかく、洞穴の方は観光客の方にはお勧めいたしません。

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山の頂上には十字架が建てられていました

 

日本軍が使っていたと言う洞穴

 

 

バコローの教会
火山灰の泥流が流れ込んで、ほとんどが埋もれてしまった教会ですが、

こちらはトレッキングに参加された場合、エリアが違うため陽の出ているうちに立ち寄りは難しいです。

以前別のツアーで出掛けた時に撮った写真がありましたので、参考としてご紹介致します。

 

 

正式名称は、サン・ギリエルモ教会と言います。

元々は1576年に建てられた古い教会です。

ピナトゥボ山大噴火の4年後、1995年9月3日、火山灰等の泥流が流れ込んで

12mの高さまで埋もれたことが書いてあります。

 

教会の高いところにあった窓が、地面にめりこんでいます

 

以前の天井では低すぎるので、追加で足したのがわかるでしょうか

 

別棟には、泥流が流れこんで来た当時の資料が展示されています

 

以前の教会の屋根が、地面から近いのがわかるでしょうか

 

以前の屋根のひさしが、人の頭のすぐ上にあります