カビーテ州は、マニラの南隣り

全国に80州ある中で、面積は69番目と狭いほうに入りますが、

人口は3番目(メトロマニラを含めると4番目)に多く、首都圏のベッドタウンとなっています。

マニラからの日帰り観光で有名なタガイタイやコレヒドールもカビーテ州に属しています。

今回、観光客の方にはあまり知られていない現地の名所を訪ねてみました。

 

アギナルド・シュライン

 

マニラからも近いカーウィットにある、

フィリピン初代大統領エミリオ・アギナルドの家が博物館となっています。

アギナルドは、1月号特集のブラカン・ビアク・ナ・バトでご紹介しましたように

5ペソに描かれているフィリピン革命時の主要人物の一人。

EDSA通りにありますキャンプ・アギナルド(軍事基地)にも名前が残されています。

1898年6月12日に、ここカーウィットの自宅でフィリピン独立を宣言しました。

6月12日は、現在フィリピンの独立記念日で祝日となっています。

邸宅正面、駐車上の方からもまっすぐに入ることはできますが、

右わきのほうにあるガードマンがいる正門から入りますと庭のほうから見学ができます。
来年あたりから入場料を徴収する計画があるそうですが、現在は入場料無料。

月曜休館、午前8時~午後4時まで開館しています。

庭にはアギナルドが使用していたアメリカのクラシックカー、パッカードが展示されています。

裏の方には、当時フィリピン革命の際にスペインと戦った8つの州の象徴する

8つのフィリピン国旗に守られるようにアギナルドの棺が安置されていました。

館内に入りますと、1階にはカビーテ州で初めてできたボーリングレーン、

爆撃から身を守るためのシェルターなど当時としては最先端の設備を誇る家屋であったとわかると同時に、

昨年11月号タール特集に掲載しました「国旗の母」マルセラ・アゴンシリオに国旗の作成を依頼した際の話や、現在のフィリピン国歌「Lupang Hinirang」の元になる当時のスペイン語の歌詞など、

貴重な資料が多数展示されています。

2階には、アギナルドと3人の娘さんの部屋、広いスペースのダイニング等があります。
大広間から入った小部屋にあるテーブルは、台が開くようになっていて、

ここから1階のシェルターへ逃げられるようになっていました。他にも秘密の扉になっている壁などもあり、

まるで忍者屋敷のようだなという印象も持ちました。

革命時は敵も多く、緊急の際にはすぐに逃げられるように、このような造りにしたのだと思います。

台所には、アメリカ製の冷蔵庫やアイスボックスもありました。

他の革命家と違い95歳の大往生であったアギナルドは、時代の流れに敏感で、

ある意味世渡り上手の部分もあったであろうと想像しました。

通常は2階までの見学が一般的ですが、今回ガイドをお願いしたヴェネル・バレスさんのご厚意で

最上階の7階まで見せていただくことができました。
3階は、通常の家屋の屋根裏、一角の小部屋には展示されていない銅像や書物が、置かれていました。

4階は、長男ミゲルの部屋。5階は、三男エミリオJRの部屋。6階と7階は監視塔。

4名のガードマンが四方を監視していたそうです。

博物館1階の出口を出た先に、別の部屋がありお土産屋となっていますが、

奥の方にアギナルドと日本人との交流がわかる資料が展示されています。
ガイドのバレスさんは現在70歳、既にリタイアされていますが、

彼が現役時代の1962年には皇太子時代の現在の天皇陛下と皇后美智子様、

1998年には秋篠宮様と紀子様が、ここアギナルド・シュラインを訪れたと話をしてくれました。

 

 

裏から見た邸宅、屋根の先端部分が7階になります

 

裏庭にあるエミリオ・アギナルドのお墓
実際にこの下に眠っているとバレスさんは教えてくれました

 

アギナルドが使用していたパッカード

 

ガイドをお願いしたバレスさん

 

 

カビーテに初めて出来たボーリングレーン

 

 

1階には、数々の貴重な資料が展示されています

 

 

1930年代、昭和天皇に代わって、当時の日本首相犬飼毅より贈られた刀

 

スペイン語の歌詞になっているフィリピン国歌の楽譜

 

2階にある3人の娘さんが使用していた部屋へ向かう廊下

 

 

 

アギナルドが使用していた部屋

 

 

1階のボムシェルターへ通じる穴がある机

 

通常はこのように普通の机です

 

通常入ることのできない3階から見た2階の大広間

 

5階にあるエミリオ・JRの部屋

 

6階・7階は、監視塔となってます

 

1階にあるお土産物屋を兼ねた部屋には、日本との交流に関わる展示品があります

 

 

 

バルドメロ・アギナルド・シュライン

カーウィットには、もうひとつのアギナルド・シュラインがあります。

バルドメロは、エミリオの従兄にあたり、フィリピン革命に向けてエミリオの右腕として活躍し、

当時カビーテにあった2つの大きな地方議会「マグダロ」と「マグディワン」の内、

マグダロの総裁を務めていました。

エミリオが香港に亡命していた際も、ビアク・ナ・バトに残り、

スペインからの賠償金を使い革命支持者たちに対する支援を行っていました。

第1次フィリピン共和国樹立の際には、軍事長官に任命されています。

バルドメロは、エミリオと同じ年。(約3週間バルドメロが先に生まれています)

生家は、やはりフィリピン国立歴史委員会(NHCP)管理の博物館となっていますが、

エミリオの邸宅と比べるとかなり小ぶりなスペースです。

本当に近くに住んでいる方に「アギナルド・シュライン」と聞いても、エミリオの場所を教える人ばかりでした。

こちらへ行かれる方は、バルドメロを強調しませんと辿り着けないかもしれません。

開館時間は、火曜~土曜 午前8時~12時、午後1時~5時
入場料は無料、中で寄付をする形です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裏庭には、バルドメロが眠っています

 

別館にも展示品があります

 

 

ビナカヤンの戦いの碑

有名リゾート、アイランド・コーブの入り口前に碑が建っていますが、

この戦いはフィリピン革命の際、1896年11月9日~11日の間に起こりました。

この戦いは主要な戦で初めてスペインに勝利したことで有名です。

この戦いで活躍した英雄の一人に、デル・ピラール将軍がいますが、

マラテにあるデル・ピラール通りに名前が付けられている方とは別人です。

 

 

 

 

アンドレス・ボニファシオ・トライアルハウス

ボニファシオは、スペインからの独立を得るためには武装蜂起が必要だと訴えたことから

「フィリピン革命の父」とも呼ばれる革命時のリーダーの一人。

1892年、革命組織「カティプナン」を創設しました。

その後カビーテ支部ではアギナルドのマグダロ派と、ボニファシオを支援するマグディワン派に

内部分裂が起きました。

アギナルドは高い家柄を誇る伝統的な有力者階級であったのに対し、

ボニファシオはスラム街に生まれた貧困層出身ということもあり、

独立を勝ち取った後の方針の違いということも背景にはあったようです。

ボニファシオは反逆罪で結果死刑になりますが、この裁判が行われたのが、

ここマラゴンドンにあるトライアルハウスです。

2階建の家屋が博物館になっており、今回職員のジェシー・ロサレスさんにガイドをお願いしました。

2階には裁判の様子を人形を使って再現されている部屋があります。

戦後アメリカの支援を受けて良い暮らしをしたアギナルドに比べ、

貧民層出身で志半ばで仲間に処刑されたボニファシオの方がフィリピン人庶民には人気があるようです。

入場料は無料、中で記帳をして寄付をするスタイル。

開館時間、火曜~日曜 午前8時~午後4時 月曜は休館です。

 

 

 

 

 

 

右側の机の奥に座っているのがアンドレス・ボニファシオ

 

ガイドをしてくれたジェシーさん

 

ボニファシオ・シュライン

ボニファシオが、アギナルド派に依って処刑をされた所がモニュメントとなっています。

やはりマラゴンドンにあるのですが、トライアルハウスからはかなり離れていて、

一度テルナーテへ入ってから舗装のされていない山道を奥の方へ入っていかないとなりませんでした。

実は今回一番行きたかった場所です。10年以上前にこの近くに住んでいたことがあるのですが、

当時誰からもここの話を聞いたことがありませんでした。

最近存在を知りネットで少し調べたところ、現地の人にもあまり知られてないとのこと。

ボニファシオ繋がりでトライアルハウスのジェシーさんに地図を書いてもらい、

分岐点近くで再確認してくださいと言われ向かいましたが、途中挫折しそうになる道程でした。

廃墟が残っているだけのイメージで出かけましたが、

ついに辿り着いた先には手入れのされた立派なモニュメントが建てられていました。

入場料は20ペソと入口に書かれていましたが職員は一人もいませんでした。

これだけのものがあるのに、フィリピンの方にもあまり知られていないのは、少し残念に思いました。

やはり舗装のされていない山道を行くのは危険と困難があると思われているのでしょうか。

 

ナショナルロードから舗装のされていない道に入り、

何度か分岐点を過ぎて橋の手前までやってきましたが、車はここでアウトでした。

川で釣りをしていた人に、ボニファシオ・シュラインの場所を聞いてみたところ、

すぐそこだとの返事。気合いを入れて歩き始めましたが、えらいめに会いました。

 

道中会った地元の人は、フィリピンナイフを持った木こりさんのみ。

もしかすると襲ってくるかもという緊張感と山道を歩く疲労で、写真を撮るのを忘れてしまいました。
途中、竹の棒でできたゲートを2か所超えて、山道を20分ほど歩きました。

 

辿りついたボニファシオシュラインの入場門

 

 

 

立派なモニュメントが建っています

 

KKKとは、アメリカの秘密結社ではなく、フィリピンでは、ボニファシオが1892年に結成した

カティプーナンの正式名称 ”Kataastaasang Kagalanggalangang Katipunan ng mga Anak ng Bayan”

の頭文字を取ってこう言います。

「人民の息子らの最も気高く,最も尊敬すべき結社」という意味になります。

 

BAYANIとは、タガログ語でHERO(英雄)の意味です。

Nだけ小文字になっているのは、デザインの関係だと思います。

 

パラディズー PARADIZOO

楽園を意味するパラダイスと動物園のズーを組み合わせた造語が名前のテーマパーク。

今回カビーテの旅の最後に、タガイタイの手前メンデスにある動物園へ

招待を受けていたので寄ってみました。
ここはフィリピンの財閥ユーパンコさんグループが経営する、

フィリピンに数あるズーマニティグループの動物園の一つです。

斜面を利用して牛や馬の放牧が行われていたり、奥の畑ではオーガニック栽培の野菜が作られていました。

搾りたての牛乳や卵の購入も可能です。私はフィリピンでは珍しい蜂蜜を買ってきました。

タガイタイにある、系列動物園レジデンス・インにも入れる共通チケットもありますが、

パラディズーのみの入場料は、大人149ペソ~

牧場を兼ねた動物園はフィリピンでは珍しいと思います。次回は家族連れで来ようと思いました。