神風特別突撃隊が最初に飛び立ったマバラカット西飛行場跡地

今日はマバラカットにある、日本にとって最も関係のある、マバラカット西飛行場跡地を紹介いたします。

ここは第二次世界大戦において神風特別突撃隊が最初に離陸した飛行場になります。

昭和19年10月20日、大西滝次郎中将の発令により、

神風特別突撃隊が編成され席行雄大尉を隊長そして「神風(しんぷう)特別攻撃隊」と命名致しました。

この西飛行場跡地には、慰霊碑があり、日本語で大きく

「第二次世界大戦に於て日本神風特別攻撃隊が最初に飛び立った飛行場」と書かれています。

昭和19年10月21日午前9時、関大尉率いる敷島隊ゼロ戦に250キロ爆弾を爆装し飛び立ったが、

米国艦船群を発見できす帰還し、翌日から3日間は悪天候のため発見できずにいたが、10月25日午前7時25分再び離陸、

午前10時52分ついにレイテ島タクロバン沖にて目標の敵艦船を補足、

関大尉は最初に空母セイント・ローに体当たりをし、後続の長嶺飛長も同艦に突入し撃沈しました。

関大尉率いる敷島隊の成功は後、フィリピン、台湾、沖縄、日本本土の陸海軍パイロットの多くが参加する「神風戦術」として広まりました。

以下写真をご紹介します。

 

マバラカット、ヒルプヤットアベニューから小道に入るとこんな感じ、

 

 

今にも崩れそうな橋を渡ります。

 

 

 

 

 

しばらく進むと

 

KAMIKAZE EWST AIRFIELDの看板があります。

 

マバラカット西飛行場跡地

ここから神風特別突撃隊が飛び立ちました。

奥の方に慰霊碑が見えます。

 

 

慰霊碑

 

正面から

 

 

 

慰霊碑の右側に日本語の説明があります。

 

慰霊碑の左には英語の説明

 

慰霊碑に向かって右方向には洞穴があります。

パイロットは離陸までの間、この穴の中で寝泊まりしていたと聞きます。

 

今はコウモリの巣になっているようです。

夕方着いたので、数匹のコウモリができきました。

 

 

飛行場跡地内けっこう整備されているようです。

 

マバラカット西飛行場跡地を後にしてヒルプヤットアベニューにもどります。

 

ヒルプヤットアベニュー沿いには、このような人口の物置のようなものが5か所ほどあります。

扉はなく昔は人が住んでいたと聞きました。

現在は人はいなく、何がいるのかはわからないとのことです。

 

 

 

 

 

 

  
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