マリキナ市方面からエドサ通り
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2021年2月25日
マリキナ市方面からエドサ通り
皆さんこんにちは。
今日もブログをご覧頂き、ありがとうございます。
先日「アンティポロ」にレストランメニューをデリバリーした帰り道は、
マリキナ市方面からエドサ通りを通ってマニラに戻りました。
マリキナは実は「靴産業」が大変盛んな街で、市民の半数は靴の製造に携わっているとも言われています。
マルコス政権期に栄華を誇って3000足もの婦人靴をコレクションしていたことで知られるイメルダ・マルコス(Imelda Marcos)元大統領夫人は、マリキナで作られた靴をこよなく愛していたそうです。
また、本日2/25は、1965年から20年間も続いた「マルコス独裁政権」を、1986年にフィリピン民衆が非暴力で打倒した
エドサ革命記念日です。
その記念碑をエドサ通り沿いで見て来ましたので、併せてご案内いたします。
行きと同じ道ならば左折するのですが、右折をして「マリキナ」方面に向かいます。
マリキナ川を渡り、「マリキナ市」に入りました。
この川は、昨年11月に超大型台風22号の襲来によって、
過去最悪ともいえる大洪水の被害に遭った場所もあります。大変心配致しました・・・。
現在はもちろん水位も下がって、川は穏やかに流れています。
また川沿いの人々の暮らしにも普段の生活が戻っていました。
川の向こうに、面白いオブジェを見つけましたよ。どうやら水牛が川を渡る様子を再現した様子。
そして、この場所には台風が襲来する前までは、なんと!!
巨大な靴(パンプス)が飾られていたそうです。
これは先ほど説明したように、「マリキナ」が靴の生産が盛んなことを国内外にアピールするために、
作られたんですって。またイメルダ夫人が愛用していたということもあって、
その高貴なイメージを「パンプス」で表現したのでしょう。
残念ながらこの靴は台風によって流されてしまい、現在は市役所で保管しているそうです。
川沿いには遊歩道、自転車専用道が整備され、市民の憩いの場となっています。
川を一望できるテラス席のある、素敵なレストランもありましたよ。
そして、フィリピンでは絶対に欠かせない「ショッピングモール」もありました。。
1995年に営業を開始したそうですよ。
売り場の半数が「靴屋」さんなんですって!!
敷地内を進んでいくと、とても古いSL?を発見!
調べていると、1906年から1936年まで、この辺りをマニラ鉄道会社の3つの路線の1つが通っていたそうです。
また、この機関車は、現在は機能していないパンパンガシュガーデベロップメントコーポレーションが所有および寄贈したもので、20世紀初頭にパンパンガとタルラックで使用された実際のヴィンテージ蒸気機関車とのこと。
100年間の歴史をひしひしと感じます・・・。
さて、車はマリキナ市から「C-5」という幹線道路に出て
「ホワイトプレインズ」という超高級住宅地を走っています。
フィリピンのベテラン芸能人がたくさん住んでいるそうですよ。
そしてこれが、ホワイトプレインアベニューとエドサ通りとの交差点に隣接した広場に置かれた
「ピープルズ・パワー・モニュメント」と英雄「アキノ氏」の像です。
ここで、エドサ革命について簡単に説明いたします。
エドサ革命とは35年前(1986年)、1965年以来21年間続いたマルコス大統領の独裁政権を
「市民が無血で打倒した」フィリピン史上最大の変革といわれています。
当時のマルコス大統領の弾圧によってアメリカに亡命していた反マルコス派のベニグノ・アキノ氏が、
1983年、死を覚悟して帰国し、飛行機からおりるタラップで射殺されるという事件に遭い、そして夫の遺志をついで大統領選に立候補したコーリー・アキノに対しマルコスが当選とされた選挙を不正として、ラモス(コラソン・アキノ=CorazonAqionoの次の大統領)などの将校がキャンプ・アギナルドに立てこもり、それを民衆が取り囲んで守り、2/25にマルコスを国外に
追いやった・・・という、アジアの民主化を実現した象徴的な出来事となりました。
まだ、たった35年前の出来事です。
記憶に残っている方もたくさんいるでしょう。
またその時フィリピンにいて、目の当たりにされた方もいるでしょう。
マルコスの不正選挙の反対陣営が篭城した「国防省のあるキャンプ・アギナルド」のエントランス。
革命とは直接関係ないけれど
「フィリピン国家警察本部」の正面エントランスを
車窓から見ながら、パサイに戻ってきました。
昨今のエドサ通りと言えば「大渋滞の名所」と呼ばれ、悪名高き道路なのですが、
(※写真はイメージ画像です)
革命がおきたその日は100万人もの人々が「反マルコス」を掲げ、デモ行進をしたそうです。
そして今は「コロナ」という見えない圧力と戦っています。
今すぐにでもフィリピンに平和で安泰な日常が戻ることを、願って止みません。