12月2日は休業日とさせて頂きますm(__)m

皆さん、こんにちは。

いつもねもとのブログをご覧頂き、ありがとうございます。

 

さて、タイトルにも書きましたが、12月2日(火)はフィリピンの祭日(パサイ・デー)につき

ねもとトラベルはお休みを頂きます。

ラインやメールのお返事は、3日(水)以降順次お送りしますので、

どうぞ宜しくお願い致します。

尚、休業日の間、フィリピンでの送迎・ホテルでのトラブルなど緊急に連絡が必要なかたは、

02-8404-673924時間日本語対応)へお電話ください。

日本人スタッフが対応致します。

ご不便をおかけしますが、今後とも変わらぬご愛顧を何卒宜しくお願い致します。

 

さて、この「パサイ・デー」とはいったい何ぞや・・・というお話を少し。

パサイ市記念日(アラウ・ング・パサイ)は、いわゆるパサイ市創立記念日です。

フィリピン・パサイ市における特別な休日(非就業日)であり、毎年12月2日に祝われます。

 

現パサイ市長のエミ・カストロ氏と市章

 

パサイ市は、ねもとトラベルの所在地であることはもちろんのこと、

フィリピンの玄関ともいえる、ニノイアキノ国際空港(=マニラ空港)の所在地でもあります。

また、国際会議場、貿易センター、文化センター、近代的な遊園地などがあることで知られています。

 

昔昔(1500年代)は、パサイはパシグ川沿いに位置する独立した政治体ナマヤンの一部と考えられています。

その領土はマニラ湾からラグナ湖(ラグナ湖)まで広がっていたそうです。

かなり広大ですね・・・

 

その後、スペイン国の植民地となり、1727年、アウグスチノ会がパサイを掌握し、

マラテ(現マニラ市の一地区)に編入、

レメディオス聖母教会(ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・レメディオス)の管轄下に置かれました。

1862年、パサイの有力住民グループは植民地政府に対し、

宗教・政治事務の自主管理を認めるよう請願しました。

同時に町の名称を、パサイの恩人であるスペイン人園芸家コルネリオ・ピネダに敬意を表し

「ピネダ」へ改称するよう提案。

マニラ大司教は1863年12月2日、ピネダに自治憲章を授与した。この日がパサイの創立日とされています。

 

その後、米西戦争(1898年)でフィリピンが敗北した後、

ピネダはリサール州に編入され、パサイ市へと改称されました。

ココでパサイという名前が誕生したのですね!

 

1942年1月1日、パサイ市を含む複数の町がマニラ市およびケソン市と合併し、大マニラ市が形成されました。

ですが翌日、マニラは日本軍に占領された。第2次世界大戦の戦下の話です・・・

 

1945年3月、フィリピン・アメリカ連合軍によりマニラは解放されました。

5か月後、大マニラ市は解体され、パサイは市としての地位を取り戻したそうです。

しかし、1947年、市制を施行しホセ・リサールに因みリサール市と改称されてしまいました。

しかし住民は新名称に馴染めず、1950年にエルピディオ・キリノ大統領が市名をパサイに戻しました。

 

という激動の歴史を持つパサイ市です。

感想としては、いつの時代においても、戦争による影響が多すぎるのかな・・・

主要都市における宿命なのでしょうか。

 

参考までに、11月30日は、ボニファシオ・デーという祭日です。

今年は日曜日なので、ねもとの休業日にはあたりませんが、

この祭日の由来は、400年に渡るスペインの植民地からの独立に際して重要な役割を果たした

革命家の父と言われた「アンドレス・ボニファシオ」の誕生日です。

 

 

ボニファシオ・デーは単なる国民的英雄の記念日ではなく、

国の独立のために捧げられた闘争と犠牲を思い起こさせる、

とっても重要な記念日となっています。

 

 

12/8の月曜日は、また祭日となるフィリピン・・・

したがいまして、12月(クリスマス終了まで)は、ホテルからの予約回答なども大変遅くなります。

キリスト教が主であるフィリピンが故・・・何卒ご容赦くださいませ。

 

 

  
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