アキノ前大統領を偲んで・・・

皆さん、こんにちは。

今日もねもとのブログをご覧頂きありがとうございます。

日本でも報道されたかと思いますが、6月24日の朝、

フィリピンの前大統領「ベニグノ・シメオン・コファンコ・アキノ3世」が腎臓疾患のため、亡くなりました。

61歳でした。

フィリピン国民が崇拝する「コラソン・アキノ元大統領」と「ベニグノ・アキノ元上院議員」の

唯一の息子として生まれ、またノイノイの愛称で大変親しまれていた大統領だったので、

フィリピン国内でも大きく報道され、その死を悼むムードに包まれています・・・

 

そこで今日は、哀悼の意を込めてノイノイ・アキノ氏の足跡たどってみました。

**************************

ベニグノ・アキノ3世氏は、1960年2月8日、フィリピン・マニラで生まれました。

初等課程から大学まで「フィリピンの早慶」ともいわれる「アテネオ大学」で経済学を学び、

1981年に卒業した後、アメリカのボストンで追放されていた家族と合流します。

そして1983年、世界を震撼させたあの事件が起こります・・・

父である父であるベニグノアキノ・ジュニア氏が

当時のマルコス独裁政権から脱却し母国に民主化をもたらそうと、

フィリピンに向けて帰国しマニラ空港に降り立ったその瞬間に、暗殺されてしまったのです。

この事件をきっかけに、国民の「民主化運動」が一挙に盛り上がり、

エドサ革命が起き、1986年母親であるコラソンアキノ氏が大横領選に立候補します。

そして、母親は「ピープルパワー」に押され見事に大統領に就任しました。

その年の11月には、母親に同行して国賓として日本にも来日していますよ。

   ※母親のコラソンアキノ元大統領と談笑するベニグノアキノ氏(2007年撮影)

一方でノイノイ・アキノ氏は、1983年にフィリピンに帰国してからは、

民間企業で働いていましたが、

2009年母親の死をきっかけに大統領選出馬を表明、翌年2010年、

1520万票を獲得し圧倒的勢力を見せつけて、大統領に就任しました。

2011年9月には、大統領として自身は2度目となる来日を果たします。

当時の天皇である「明仁上皇」と皇居にて会談をされました。

こうしてフィリピンの、汚職・貧困・老朽インフラ問題などに取り組んで、

2016年、6年間の任期を終えました。

私生活では、射撃とビリヤードが大好きで、またオーディオマニアでもあったそうです。

そして、彼は生涯独身でした。フィリピンの大統領経験者では唯一の未婚者だそうですよ。

また愛煙家としても知られており、大統領立候補時は「禁煙」も公約として掲げていましたが、

多大なストレスには勝てず、後にその公約を撤廃した・・・というこぼれ話も。

 

昨日から、フィリピン国民はアキノ元大統領の死を悼み、

ピープルパワーの象徴である「黄色い花とリボン」を捧げ、哀悼の意を表しています。

                                   (※2019年2月撮影)

文末になりましたが、私も心よりご冥福をお祈りいたします。

  ※文中の写真は、全てリンクフリーの写真を引用しています。

  
トップに戻る